2019年8月25日放送のバラエティー番組「消えた天才」に、元サッカー日本代表の中心選出として活躍し、ワールドカップでもゴールを決めた稲本潤一選手が出演します。そして、実はそのワールドカップで本当は一緒にプレイするはずだった消えた天才の存在を明かすと言うのです。とても気になりますね。

 

そこでこの記事では、稲本選手が本来、日本のエースストライカーとしてワールドカップに出場するはずだった選手は誰?ということで、紹介していきたいと思います。

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消えた天才ストライカー「小松原学」プロフィール

小松原学プロフィール概略

【名前】   小松原学(こまつばら まなぶ)

【生年月日】   1981年4月2日

【年齢】   38歳(2019年8月現)

【出身地】   群馬県

【身長】182cm

【体重】   70kg

【ポジション】   FW(フォワード)

【利き足】   右足

【チーム】   ベルマーレユース

小松原学さんですが、この世代はまさにサッカー界の黄金世代と呼ばれ、同じストライカーには高原選手がいたり、小野、稲本、遠藤、中田浩二、小笠原らの、日本サッカーのレジェンド達がいる時代でした。しかし、そのメンバーと比べても何の遜色もない、むしろその中でも突出した存在であったことがわかっています。

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小松原学さんの経歴は?

4歳からサッカーを始めた小松原学さんですが、小学2年にの頃にはもう既にプロを意識していたとのことです。(Jリーグ発足前)

 

そんな小松原学さんですが、地元のチームで全国大火に出場し、一気に注目を集めます。そして、中学入学と同時にベルマーレ平塚に入団。中3の頃にはU-17日本代表に選出されるなど、まさに挫折知らずのエリート中にエリートでした。

 

その後、ベルマーレ平塚ユースに昇格し、2種登録され、1998年4月11日に、高校生ながらでデビューしました。当時の記録ではJ最年少記録でした。

※ちなみに今回の番組に出演している稲本選手も、後に高校生Jリーガーとしてデビューし、最年少記録を更新(すでに現在は抜かれている)。

 

1999年シーズンは、18歳ながら25試合に出場し、4得点を記録しています。現在では10代の選手が活躍したり、海外でプレイしていますが、この時はまだ非常に珍しかっただけあり、大きななインパクトでした。

 

しかし、今まで順調だったサッカー選手としての経歴が、ここから転がり落ちてしまいます。怪我の影響もあり、満足いくプレイが出来ず、2002年には当時J2だったヴァンフォーレ甲府に移籍します。しかし、思うような結果が出せず、解雇となります。

 

その後は神奈川県社会人リーグの湘南大磯や、JFLのFCホリコシでプレイ。湘南ベルマーレの練習生として参加するも、契約を勝ち取ることができず、FCホリコシで、2005年に24歳の若さで引退しています。

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小松原学の引退後は?何してるの?

現在の小松原学さんですが、整骨院の経営をしながらも、少年サッカークラブの運営。Jリーグ選手会の理事を務めるなど、幅広く活躍しているそうです。

 

プロサッカー選手としては、心半ばで夢を絶たれてしまいましたが、普通に考えたらプロになるだけでも本当にすごいことです。しかしその後、自分のお店をオープンされるなど、第二の人生も成功し、やはり只者ではないですね。

 

まとめ

いかがでしたか?

 

もしかしたらサッカーファンの中には覚えている人も多いのではないでしょうか?サッカーだけでく、違う分野でも成功してしまう小松原学さんはさすがですね。

 

しかし、一言言わせて頂くと、誰もかれも天才と言い過ぎでは?と思わずにはいられません。正直、過去にサッカー選手は何人天才がいたの?と言う話になってしまいます。

 

ラモス選手が言っていましたが、日本の本当の天才は「小野伸二だけ」。まさに同感です。誰もかれも天才を使いすぎです。

 

怪我さえなければ、小野選手だけでなく、小倉隆史(元グランパス)も期待されれいました。そして、怪我はしていませんが、期待値で言ったら宇佐美選手や柿谷選手も、天才と言われる部類の選手だったと思います。

 

そして小松原学選手は、いくらすごかったといえど学生時代の話。プロとしての実績は大した数字ではありません。にもかかわらず、「消えた天才ストライカー」と言うのは少し大げさな気がしてなりません。

 

誰もかれも天才天才と持ち上げ、選手にプレッシャーをかける日本サッカーやメディアはどうなのか?と、思わずにはいられません。

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